東洋の波止場 |
古来より、海と陸の交通の要衝であった敦賀港。1899年に開港指定を受け、ヨーロッパとの交通の拠点でもあった国際港の敦賀に出会うことができます。 |
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大陸への玄関・敦賀港
古来より、海と陸の交通の要衝であった敦賀港は、1902年から1941年にかけて、ヨーロッパとの交通の拠点でした。 |
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敦賀港のむかし |
江戸時代以前の敦賀港 |
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敦賀港は、往古「笥飯浦(けいのうら)」と呼ばれ、さらに古代日本三大要津のひとつ「敦賀津」として、渤海国や宋国をはじめ大陸諸国との交流拠点として繁栄しました。
また、さらに迎賓館・検疫所・貿易取引拠点等を兼ね備えた「松原客館」が置かれ、日本の最先進国際都市でした。 戦国末期から、現在の東北地方や北海道・千島との交易拠点港として栄え「北国の都」と謳われて千石船が往来し、間口50m・奥行90mもある豪商の店舗がありました。 |

敦賀八景八ッ乃詠 |
近代以降の敦賀港 |
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敦賀港は、1899(明治32)年に開港場(外国貿易港)の指定を受け、1902年には、敦賀とウラジオストク間に直通航路が開設されました。日露戦争後は航路の重要性が高まり、政府は敦賀を神戸や横浜などと並ぶ重要港湾に指定しました。また、1910年に駐日ロシア領事館が開庁されました。さらに、1912年にはシベリア鉄道を利用して、ヨーロッパの各都市を結ぶ拠点港となり、新橋駅(東京)・金ケ崎駅間には欧亜国際連絡列車が運行され、名実ともに「東洋の波止場」として繁栄しました。 |

日満連絡船の出港風景 |
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